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THE MAGICIANS

「Withコロナの時代、自動車の可能性はさらに広がる」 
国際自動車ジャーナリスト 清水和夫氏インタビュー


不確実性を増す現代社会でも、自らの壁を打ち破って進化し続ける“MAGICIAN(マジシャン)”たち。本連載では彼らへのインタビューを通じて、この世界の未来を占う道標とする。

第1回はこちら、 第2回は こちら

第3回目は、国際自動車ジャーナリストの清水和夫氏。元レーサーとしての経験値と膨大な知識量、絶えずあふれる好奇心をもつ異色のジャーナリストの目に、現代社会はどう映っているのだろうか。

好奇心の塊だった少年時代



―元レーサーかつ自動車評論家という稀有な肩書で、長年ご活躍されている清水さんですが、幼い頃から車に興味をもっていたのでしょうか。

僕は小さい頃から、好奇心の塊。最初は自転車に乗って、行動範囲のもっと向こうへ行きたいと願っていました。もっともっと……と遠くへ出かけるうち、帰宅が夜中になって捜索願を出されたことも。10代でオートバイを手に入れると、さらに遠くへと行動範囲を広げていきました。



大卒後は家電メーカーに3年弱勤めた後、プロのレーサーに。20代後半のとき、『モーターファン』という雑誌から『車のテストのレポートを書かない?』と言われて、ジャーナリストになったのはそこからです。以来、レーサー兼ジャーナリストとして海外にも行動範囲を広げ、多いときはヨーロッパを中心に年間20回ほど出かけていましたね。とにかく僕は、好奇心の塊なんですよ



清水氏がジャーナリストとしてデビューした自動車雑誌『Motor Fan』(現在は休刊)の後進にあたる 『MotorFan illustrated』(三栄書房)


「メルセデスには、哲学者がいる」



―ジャーナリストとして多くの国へ出かけ、最も印象的だった取材は何ですか?

メルセデスの中には、哲学者がいるなと思いましたね。1886年、世界で初めてガソリン自動車を発明したのはドイツのカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーですが、それ以来ずっとメルセデスの開発チームには哲学者がいるんです。


カール・ベンツ(左)とゴットリープ・ダイムラー


―自動車メーカーなのに哲学者、ですか。

そう。哲学者だけじゃなくて、名刺交換すると“Psychologist(心理学者)”とか、“Theologian(神学者)”とか、実際に書いてある。なぜ自動車メーカーに哲学者がいるかというと、たとえば自動運転ひとつとっても人間ではない者が運転するということがキリスト教的にどうなのかって議論するんです。そういうところは、さすがヨーロッパだよね。

―哲学的、宗教的な背景から最新テクノロジーを考える欧州。面白いですね。

何千年にもわたって宗教戦争をしてきた地域だからね。それにドイツは、カントやヘーゲルを生んだ国だから、やっぱり哲学的思考が根付いている。数字では表せない学問分野は、エンジニアが一番苦手な領域です。でもそういう学者たちがチームにいるってことは、メルセデスは数字以外の部分からも深く自動車を考察しているんだなと



メルセデスの開発は、数字だけでは測れない「哲学」に裏打ちされている。

AIの判断は、倫理的にどこまでOK?



―日本のメーカーには、哲学から技術を考えるという発想はあまりないですね。

たとえば自動運転について考える際、よく例に出されるのが “トロッコ問題”という思考実験です。暴走するトロッコの進路が二手に分かれていて、そのまま放っておけば5人が犠牲になる。でも自分は切り替えポイントに立っていて、線路を切り替えれば1人の犠牲ですむ。あなたはどちらを選びますか?という問題です。

―自分の場合、人の生死を決めてよいものか悩んでしまい、結局何もできない気がします。

それだと、今の日本の刑事訴訟法では犯罪者になってしまうんです。でも、線路を切り替えれば無罪。功利主義といって、5人を助けるために1人を犠牲にしたら、結果的には4人の命を救ったことになるので罪が軽いという考え方です。


倫理の思考実験でよく使われる「トロッコ問題」。暴走するトロッコを前に、5人の犠牲者を助けるために線路を切り替え、1人を犠牲にする行為は正しいのかを問う。


―自動運転になると、そういう問題が出てくるわけですね。

AIに判断させるというのは、まさにそういうことなんです。それでドイツ人はどう考えるかというと、「5人も1人も、命は同じ重さだ」と言うはずです。人は判断を誤る可能性があり、命の重さも判断できない。そこは国によって違います。

アメリカと日本は功利主義なので、線路を切り替えて5人救った人に対して罪は問いません。「より多くの命を救えるという結果が、あなたには見えていたでしょう?」となる。国によって倫理への考え方が違うから、AIの開発には議論が必要なんですね。答えはまだ出ていません。

―でも、ドイツに根付くカント的な考え方は「あまりにも良い人すぎる」というか、辛くなりませんか。功利主義を否定し、命の選別をしようとした自分を責めてしまう。

そうだね。もしドイツの哲学者が、線路を切り替える人のそばに立ってピストルを持っていたら、彼は自分で自分の命を絶ってしまうかもしれない……というのは冗談ですが、とにかくドイツのメルセデスは『人は絶対に間違いを犯す』という思想を前提としています。トロッコ問題から車の開発に話を戻すと、人は間違いを犯すので、技術にお金をかけて「間違いが起きないような車にしよう」という考え方になります。



「絶対安全」を唱える日本の自動車メーカー



一方、日本はドイツと違って、ルールを厳しくしていけば間違いは起きないという前提に立っています。リスクゼロの「絶対安全」を唱えるわけです。

―どうにかして、事故の危険性をゼロにできるはずだという前提ですね。

そうです。たとえば道路交通法を改正して、罰則を厳しくすれば大丈夫だと考えてしまう。原発も同じで、すべては「絶対安全」の前提に立っていますよね。実際のリスクは、航空機の場合だと9が12個並ぶ「99.9999999999%」の安全性で、自動運転は9が7個、つまり「99.99999%」の安全性だといわれていて、わずかな確率で事故は起きる。もちろん非常にレアケースなんだけど、それでも「事故が起きるかもしれない」ということを受容するフレキシビリティが社会にないとダメなんです


航空機の安全性は、9が12個並ぶ「99.9999999999%」といわれている。では自動運転の車は?


新型コロナウイルスの問題にしてもそうですが、このワクチンはよく効くけど1000人に1人は副作用が起きるとか、PCR検査の結果にしても100%完璧などありえない。「そういうものなんだ」と受け入れる寛容性が、日本にはないんですね

―日本社会は「絶対安全」を目指すがゆえに、少しのリスクも許容できない。

そうです。ヨーロッパはリスクを許容し、「人は間違いを犯す」という前提に立つ。一方アメリカの安全対策は、いわゆる“fail safe”といって「失敗しても安全なように設計する」という考え方です。対して、日本はリスク自体をゼロにする「絶対安全」に行ってしまう。社会に寛容性がないことの現れです。

Withコロナ時代、テクノロジーはどうあるべきか



―今、新型コロナの流行や経済不安で混沌とする社会に対し、自動車業界から見えるものは何でしょうか。

新型コロナウイルスの流行で、改めて、人の命や仲間とのコミュニティが大事だということが認識されました。家に引きこもってUberEatsで栄養を摂取するような生活もできるけど、もし自由に移動できるとなったら、やっぱり「誰かと出かけよう」とか、「あのお寺へ行ってこんなものを見よう」とか、なにか楽しいことがしたいと思いますよね。文化や芸術、コミュニティみたいなものがどれほど大切だったか、多くの人が気づいたわけです



14世紀半ばのペスト大流行を経て、人間らしい文化を重んじるルネッサンス時代が花開いたように、今の時代もお金や経済、効率第一で突っ走ってきた社会を考え直す時期に来ていると思う
。これからの新しい社会は、人間中心のイデオロギーで考えていく必要があるね。

―そうなったとき、テクノロジーに何ができるでしょう。

今まではお金儲けのため、効率のためにテクノロジーを使ってきたけど、コロナによって人々の命や健康が大切だと分かったから、これからは“Wellbeing”や“Wellness”、“Health”のような目的意識でテクノロジーを使っていくべきなんですよ。

―自動車業界が、テクノロジーをWellbeingに使うというのは、具体的にどういうことですか?

たとえば自動運転の最中にドライバーが変な方向を向いたり、「デッドマン」といって運転中に亡くなってしまったら、車は暴走しますよね。それは大きな問題です。でもこれに対応する「デッドマンシステム」という技術がすでにあって、ドライバーを車内のカメラで見ているんです。ドライバーが変な方を向いたり意識を失ったりしたときに、安全性を確保する仕組みが、これから出てくる車には備わっています。


自動運転を可能にする技術で、ドライバーの健康管理も可能になる


つまり車内のカメラでドライバーを見ているから、体温なんかも分かるわけです。あとはハンドルを握った瞬間に体脂肪率や心拍数も記録できる。口を見ていれば呼吸数も分かるし、心電図も計測できます。

―毎日同じ時間に通勤している人であれば、非常に正確なデータが蓄積されますね。

技術的にはすべて可能だから、もう車に乗るだけで毎日健康診断をしているようなものですよね。コロナの検査だって、やろうと思えばできますよ。車内の空気はエアコンで循環しているから、口から出た飛沫を検査することはできるはず。

テクノロジーの分野こそ、アートの感性を大切に



車はかつて、交通事故の多さから「走る棺桶、走る凶器」なんて言われていたけど、今は乗れば乗るほど健康になる「走る健康診断」ですね。移動以外のことも、今後はどんどんできるようになる。車には無限の可能性があります。

― “Wellbeing”の時代、自動車ができることはむしろ増える可能性があるんですね。

こんな時代だからこそ、健康な生活や文化のために科学技術を使っていくべきなんです。もともとテクノロジーって、アートと近いところにある。ルネサンスの時代には、科学者は芸術家であり哲学者でした。まさにそれはダヴィンチを見れば分かるわけですよ。当時はコピー機がないから、自分が作ったものを複写するために絵を勉強したわけでしょう。

―一見すると真逆の科学と文化芸術が、互いに近いルーツをもっている。面白いですね。

もし自動車メーカーの技術職として一生を過ごすとしても、どこかで文化芸術的な感性は持っていた方がいい。そうじゃないと「理系バカ」になってしまいますから。今の学問は文系、理系で明確に分かれてしまっているけど、本当はもっとリベラルアーツというか一般教養をやるべきなんです。

僕も理系出身だけど、何でも知りたくなる性分で好奇心旺盛にやってきた。生き方は人それぞれだと思うけど、ずっと好奇心があるから、今でも地平線の向こうまで行きたいって思っていますよ。でも、人生の解としての地平線はいつまでも触ることができないし、答えもすぐには見つからないんだけどね。




清水和夫 国際自動車ジャーナリスト
1954年生まれ。武蔵工業大学電子通信工学科卒業。1972年に自動車ラリーにデビューして以来、プロレースドライバーとして、国内外の耐久レースに出場。同時にモータージャーナリストとしての活動を始め、雑誌等で活躍。自動車の運動理論・安全技術・環境技術などを中心に多方面のメディアに執筆、TV出演や講演活動もこなす。日本自動車研究所客員研究員。著書に『クルマ安全学のすすめ』(日本放送出版協会)、『ITSの思想』(日本放送出版協会)など。




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本プロジェクト「THE MAGICIANS」は、AZAPA株式会社のカルチャーフィットプロジェクトとして2020年6月にスタートしました。コーディネーターは弊社CCO(Chief Culture Officer)のジェニア、ライターは北条、カメラマンは槇野翔太 で進めています。Instagramでは撮影の裏側も公開していますので、ぜひご覧ください。