AZAPA

THE MAGICIANS

「誰もがイチロー選手になれるわけじゃない。それでも好きなことをやり続けるために、俺は妥協をしなかった」
~プロレーサー兼実業家 古賀琢麻という生き方~


2020年は1年を通して、新型コロナウイルスの猛威に世界中が揺れた。当たり前の日常が当たり前ではなくなり、新しい価値観のなかで自ら考え、生き抜くことが求められている。

そんな時代に送るインタビュー企画の第7回は、レーシングドライバーの古賀琢麻。全米で最も過酷なレースといわれるNASCARシリーズに、日本人初のフル参戦を果たした強者だ。一方で、最新の VRドライビングシミュレーターを開発する株式会社アイロックの社長でもある。レーサーと実業家。一見、両立の難しそうな2本の道を全力で駆け抜ける古賀氏に、そのエネルギーの源を尋ねた。 

「必ずレーサーになる」と5歳で決めた



―古賀さんがプロレーサーを志したのは、いつ頃からですか?

もともと俺は、5歳の頃から「レーサーになる」って決めてたんです。「なりたい=“Wannabe”」じゃなくて「なる、ならねばならない=“Have to”」。当時は12歳でレーシングカートのライセンスが取れたから、それまでにレース資金の100万円を用意しなきゃいけない。10歳から新聞配達や集金をして、2年間で100万円貯めました

―小学生がそこまでできるものでしょうか。

ボクの家は裕福な方じゃなかったし、自分で貯めるしかなかった。学校の先生には、「みんなが給食を食べている間に、俺は掃除や合唱コンクールの練習をする。その代わり放課後は早く帰らせてくれ」って交渉して(笑)

貯めたお金で、12歳からレーシングカートを始めて19歳までやりました。レースの未払金を返すために、20歳からはデンソーで働き、800万円を1年で返済。カートのために必死で働き、お金を貯め、またカートに乗る。その繰り返しで、当時は稼いだお金と時間をすべてレースにかけていましたね。





趣味も何もない。ただレースを欲している



―青春時代のすべてをカートに捧げていたんですね。

ボクには趣味がなくて、当時も今もレース中心の生活。19歳くらいまではレースのために必死で働いてお金を貯めていたから、コンビニで買い食いさえしたことがなかったくらいです(笑)。友達と好きなものを買って食べるとか遊ぶとか、そういうのも一切なかった。人間の3大欲求と同じレベルで、僕はレースを欲しているんです。理屈じゃないですね

でも800万円の未払金を払い終わった19歳のとき、生まれて初めてコンビニで、高校時代みんなが飲んでいたコーヒー牛乳と「チーカマ」を買って食べたときは、死ぬほど美味いと思ったね(笑)。

今もだいたい毎日レースのことを考えてる。休みの日はトレーニングしたり、時々バイクに乗ったりもするけど、それもレースの延長線上だね。





21歳で単身アメリカへ、そのままレースに出場



―カートをやめた後、アメリカへ行かれたんですよね。

やっぱり、本場のアメリカでレースがやりたかった。そんな時、たまたまレース雑誌の人から「シアトルでNASCARのシートがあるよ」と言われて。英語なんて一言も喋れなかったし、パスポートすら持ってなかったんだけど、旅券センターであの手この手の交渉をして、そのままシアトルへ飛びました。

無事オーディションに受かって、契約書にサインをしてから気づいたんだけど、レースの出場には1000万円もかかる。当時の俺は為替をよく理解していなかったから、100万だと思って「安いじゃん!」とサインしたら、ケタが1つ違ったんだよね(笑)





―やはり、レース参戦には多額の費用がかかるわけですね……。

モータースポーツには何千万というお金がかかる。それだけの額をスポンサーにお願いしなきゃいけないのに、自分がその日、生活するための何十円がないなんてダメだなと。で、まずアメ車をカスタムするオプションパーツの会社を作ったんだよね。それが今の「株式会社アイロック」のベースになった。

だから俺は別に、「実業家」ってわけじゃない。レーシングドライバーとして食えていたら、ビジネスなんてやっていなかったと思う。自分がやりたいことをやるためにはどうすればいいだろう?自分にしかできないことは何だろう?って、ずっと考えてやってきただけ。





やっぱり、アメリカのレースで成功したい



―NASCARの参戦は、2006年にいったん退いていらっしゃいますね。

29歳でレースをやめて、そこからは仕事を一生懸命やりました。シボレーのパーツを作ってアメリカで売る。ビジネスも軌道に乗り、テストドライバーみたいなこともたまにやっていたんだけど、あるとき「やっぱり俺は、NASCARレースで成功するためにアメリカへ来たんだ」と思うようになって。今から5年前の2016年にレース復帰しました





復帰にあたって、10年のブランクを埋めるために色んなシュミレーターを使ったんだけど、どうもしっくりこない。それもそのはずで、シミュレーターって実際に300km/hのスピードで走ったことのない技術者が作っているから、リアリティがないんだよね。「だったら自分で作ろう」と思ったのが、シミュレーター開発のきっかけ。でも当時は、今みたいな主力事業になるなんて思ってもみなかった。

時速300キロの世界を知っているレーサーが、自ら開発



―ご自身がレースに参戦するために作ったドライブシミュレーターが、今や株式会社アイロックを代表する製品になっていますよね。

たまたま当時やっていた会社で、東京オートサロンに出展していたときのこと。商談の待ち時間に、お客さんがヒマだろうから遊んでもらえたらとシミュレーターを置いておいたら、一気に10台ぐらい売れて。まだ値段も決めてないのに。それですぐに、シミュレーターを作る会社に転換しようと決めました。徐々にじゃなくて、一度決めたらバンッと方向転換。





このシミュレーターは俺にしか作れない。レースをやっている自分には、100km/h、150km/h、さらに300km/hを超えた先の感覚がわかるからです。自分には、300キロの世界になると恐怖でアクセルを踏む力が弱まるとか、そういうことが感覚的に理解できる。だからレースをやっていない人が数値だけで作ったシミュレーターとは、全く違うものが作れると直感したんですね。

車の揺れや走行感など、さまざまなアナログの感覚をエビデンスとして数値化するのは、AZAPAさんのすごいところです。アナログをデジタル化する。そのデジタル化されたデータを、僕たちはこのドライビングシュミレーターを使って、アナログなフィーリングの部分へと再び戻してやるんです





好きなことを妥協せずにやりたいだけ



―プロのレーサーかつ実業家という古賀さんの生き方に、憧れる人も多いと思います。

たしかに車好きにとって、レーシングドライバーは憧れの存在かもしれない。カッコいい車に乗って、きれいな女性に周りを囲まれて…みたいなイメージもある。でも実際は多くのレーサーが続かないし、中には残念なことに、だんだん周りにお金やモノをせびるようになっていく人も多いんだよね。

野球でもそうだけど、巨人にドラフト1位で入った選手がみんな、イチロー選手になれるわけじゃない。もっといえばイチロー選手だって、オリックスにドラフト4位で入ったということは、12球団でいうとその年の上から40何番目だったわけでしょう。

どんなに好きで頑張っても、すべてが思い通りにいくわけじゃない。でも、それでも好きなことをやり続けるって大事で、ボクはレースが好きだからずっとやりたいわけですよ





全てが思い通りにいくわけじゃない。だからこそボクはビジネスをきっちりやることで、好きなレースにも妥協せず取り組む道を作った。妥協せず、自分のスタンスでやり切りたい。そして、自分が辞めたいと思ったときに辞めたいんです。

―スポーツ選手でも芸術家でも、夢を叶えることができたとして、続けていくのが何より大変ですよね。

野球選手の例でいえば、引退式なんかやってもらえる選手はごくごく一部。ほとんどの人は「辞めろ」と言われてやめさせられていく。プロのレースもそうだけど、好きなことをやり続けるためには、才能以外の戦略も必要なんだよ。それが俺の場合はビジネスだった

寝食を忘れるほどレースが好きで、レースのない人生は考えられない。だからずっと、レースをやるために自分ができることは何かを考えている。ただそれだけ。自分にしかできないことはなんだろう?そのために今できることはなんだろう?って考えてきた結果、今の自分がある。レースでもビジネスでも、時代が変わっても、ボクの基本スタンスは変わらないね。




古賀 琢麻

1977年、愛知県名古屋市出身。JPR CKB TOYOTA RACING 所属レーシングドライバー、Rドライブングシミュレーターの企画・開発・製造を手がける株式会社アイロック代表取締役。幼少期にレーサーになると決意し、10代はカートで活躍。21歳で単身渡米し、2000年度からNASCARシリーズに参戦。2005年度には、NASCARシリーズGrand National Divisionに日本人で初のフル参戦をし、全米オールスター戦に出場を果たす。2016年、シボレーのサポートを受けJKR CHEVROLET RACINGから、10年ぶりにNASCAR K&N PRO SERIES に参戦。2020年はNASCAR/ARCAシリーズにて、自己最高の年間ランキング7位を獲得。




本プロジェクト「THE MAGICIANS」は、AZAPA株式会社のカルチャーフィットプロジェクトとして2020年6月にスタートしました。コーディネーターは弊社CCO(Chief Culture Officer)のジェニア(Yevheniia Hrynchuk)、ライターは北条、カメラマンは槇野翔太で進めています。Instagramでは撮影の裏側も公開していますので、ぜひご覧ください。